第9話 笑里 9





「ねぇ、携帯電話番号教えてよ」

 わたしと目線の高さがあまり変わらない有栖川君に、胸があたるくらい詰め寄った。

(いくら朴念仁ぼくねんじんでもこれなら断れないでしょ?)

 そう思ったが、彼は苦笑いを浮かべた。

「おれは、そういうのちょっと苦手なんです」

 わたしはブスッとした。

 そして風見ちゃんを見た。

 彼女ではない事を知りつつ、

「ああ、そういうことね。彼女さんにみさおをたてているんだぁ」

 と風見ちゃんを見ながら悪戯いたずらっぽくそう言った。


 風見ちゃんは恥ずかしそうにして下を向いたが、有栖川君は動揺する素振りを一切見せなかった。

「おれ、親しくない人に電話番号は教えないんで。ごめんなさい」

(エ―――! なによ、断るの?)

 わたしは世界の白沢笑里よ。

(袖にするなんて、信じられないわ)


 有栖川君がわたしに半身を向けた。

「おれたちは白沢さんの前座なんで、お先に失礼します。それじゃ」

 素っ気なく言うと、有栖川君はわたしに背中を向けた。

「有栖川君、ちょっと待ってよ」

 呼びとめたものの彼は一度も振り返ることなく、二人を連れて駅の改札をくぐった。

 わたしは後を追いかけたかったが、ピアノ蓋のカギを持っていたから、追いかける事は出来なかった。

 わたしは有栖川君が階段の影に消えるまでじっと見つめていた。


 ママが傍にやって来た。

 わたしが握り締めていたカギを手に取ると、

「珍しいこともあるのね。あなたが振られるなんて」

 揶揄からかうというより、驚いた感じだった。

「でも、すごいヴァイオリニストね。あんなに若いのに。ダニーといい勝負するかも」

「ううん。ダニーより彼の方が上よ」

「珍しいことが続くのね。あなたがダニーより優れていると認めるヴァイオリニストがいるなんてね」


「わたし、あの子が欲しい」

 わたしの言葉にママは困った顔をしたが、何も言わなかった。

「わたしが自由に出来る時間は限られているのよ。だからわたしは、自分の思いに素直に生きるわ。いいでしょ?」

 ママは笑っただけでも相変わらず何も言わなかった。

(言った所でわたしが聞かないことくらいわかっているものね。ママ)


 でもわたしはあの子にわたしの青春のすべてを捧げたい。

「有栖川雅人―――」

 その名前を口にしただけで、わたしの心は激しくうずいた。

(近いうちにきっと、わたしのピアノとキミのバイオリンで、デュオするからね)

 どんなに逃げたって追いかけて行くよ。

 大舞台に引きずり出してあげるから。

 と、思った時、ひらめいた事があった。

(あっ―――いいこと思いついたよ)

 

「ママ、ちょっとトイレ行ってくるね」

 そう言ってトイレの方向に向かい、ママの死角に入ると、わたしは携帯電話を手にした。


「あっ、川瀬さん。あのね。お願いがあるんだけど、今日のリサイタルのことなんだけどね―――」

 機会なんて待つものじゃない。

(作るもんだよね)

 有栖川君とデュオするためだったら、わたしは何だってするよ。

 だってわたしは破天荒な白沢笑里なんだもの。



                      おわり

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