灼熱の昭和にデータ野球で挑む
メモ帳パンダ
第1話 終わり
少し薄暗い部屋、俺は3台のモニターを前に、明日の予告先発投手の映像を眺めていた。
一次所見は既に専用端末で提出済みだ。それでも、やっぱり気になる。
間違いがないか、見落としはないか、最後にもう一度だけ確認したくなる。
映像は三方向──センター後方、バッター視点、そして一塁側高角度──に切り替えながら、投球動作を繰り返す。
「このスライダー……。やはり、落ち方が縦寄りだな」
自分の声が静かな部屋に微かに響く。
回転軸の傾きと、縦方向の沈み。見慣れないと見分けがつかないかもしれない。俺は気づいた事をノートに書く。
この投手がスライダーを投げるとき、右肩の高さがわずかに変わる。
角度にすればほんの数度、動作にして数ミリの違い。それでも、こういう癖は今のプロ野球では致命的な弱点になる。
一軍に上がってきたばかりの若手だ。動きも整っていて、正面から見ただけではまず分からない。
だが、斜めからのアングルで数球重ねて見れば、投げ分けの差異が浮かび上がってくる。
それに気づくかどうかが、勝敗を分けることもある。
専用アプリが導入されたのは、去年の春だった。
今では選手一人ひとりにスイング分析や配球傾向が届く。映像はその日のうちにアップされ、翌朝にはスマホで復習できる。
便利な時代だ。だが、それで全てが分かるわけではない。
「配球の裏にあるクセってのは、数字に出ないんだよな」
映像室に選手がふらっと顔を出したときに、そう言ったことがある。
俺はよく若手にアドバイスを求められる。
「牽制のタイミングが読めないんです」とか、「カーブの時だけ呼吸が浅くなる気がします」とか。
いい傾向だ。みんな貪欲に吸収しようとしている。
でも最後に判断するのは、自分の目と感覚だ。
それは、どれだけ技術が進んでも変わらない。
現役時代、ひたすら塁に出ることだけを考えていた。
高校の頃の連投の影響による肩の故障で、大学で内野手に転向した。肩の怪我の影響でお世辞にも送球が良いとは言えない。
それでも、走塁と観察力を武器に一軍に定着し、一度だけ盗塁王も獲ることができた。
大学に進んだのは、ドラフト漏れがきっかけだったが、結果的にはそこでスポーツ医学や統計分析を学べたのが大きかった。
怪我を抱えながらもキャリアを長く続けられたのは、その知識とセルフケアのおかげだと思っている。
首脳陣が俺がベンチでいつも書いている野球ノートを見て、引退後に分析担当として声をかけてくれた。
グラウンドに立つことはなくなったが、こうして野球に関わり続けられるのは幸せだ。
自分の見てきたもの、積み重ねたことが、少しでもチームの勝利に役立てばいい。
時計を見ると、もう午前1時近い。
最後に報告用の要点をまとめて、端末をロッカーに戻す。
ウインドブレーカーを羽織り、ビルの自動ドアをくぐると、冷えた夜風が頬を打った。
帰り道、スマホの通知が震えた。
《○○、MLBで2戦連続の本塁打。今季15号》
ふっと笑みが漏れる。あいつ、また打ったか。
大学時代の同期。プロ入り後も比べられたスラッガーだ。
俺も大学リーグでは本塁打王を取ったことがある。でもプロに入ってからは、自然とヒット狙いに切り替えた。
走塁を生かせと言われ、バットを短く持ち、細かい打球を狙うようになった。
それが正解だったとは思う。思うけれど──
「もっと、野球がしたかったな」
そう呟いた瞬間、耳元で破裂音のような轟音が鳴った。
前方から光が迫る。
視界が、真っ白に染まった。
そして、衝撃。
それが何だったのかを考える暇もなく、意識は深い深い闇に落ちていった。
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